「カッターを買った。切れなかったー」
「カッターを買った。切れなかったー。」
──この一文を読んだ瞬間、思わず「うまい!」と膝を打つ人もいれば、「……しょうもなっ」と笑いながらツッコむ人もいるでしょう。しかしこの短いダジャレには、言葉遊びの奥深さ、そして“期待と裏切り”という笑いの基本構造がギュッと詰め込まれているのです。
まず、このジョークの鍵は「カッター」という言葉にあります。文具としての「カッター」は、「切るための道具」としての機能が強く前提とされており、それを「買った」ときには、当然「よく切れること」を期待します。だからこそ、後半の「切れなかったー」という結果に、私たちは驚きとともにズッコケるわけです。
ここで重要なのは、「カッター」という単語と、「買った」という動詞、そして「切れなかったー」という結果とのミスマッチによる笑い。このミスマッチこそが、ダジャレという形式の中に「落語的なオチ」「漫才的なズレ」といった日本の伝統的笑いのエッセンスを感じさせる要素でもあります。
さらに、「切れなかったー」の語尾の「たー」が、「カッター」の「ター」と音を揃えている点も見逃せません。つまりこれは、単なる意味のひねりだけではなく、「音のリズム」としても完成されているのです。
しかも、失敗体験がベースになっているという点でも共感を呼びやすい構造になっています。「期待して買ったのに使えなかった」というのは、日常に潜むあるある。私たちはその“がっかり感”に共鳴しつつ、言葉のリズムに誘われて笑ってしまう。つまりこれは、「共感×言葉遊び×裏切り」という、王道の笑いの三重奏。
また、シンプルな言葉だからこそ、小学生から大人まで笑える“間口の広さ”も魅力です。幼い子どもなら「カッター」「切れない」の物理的な意味で楽しめ、大人なら「買ったのにダメだった」という“社会的あるある”も含めて味わえる。
つまり、「カッターを買った。切れなかったー。」は、一見しょうもないダジャレに見えて、実は言葉のセンス、共感、テンポ、期待と裏切りの構造、そして人間味が凝縮された、秀逸なミニコントなのです。